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世界のトヨタ売上を抜いたフォルクスワーゲン社
ドイツのニーダーザクセン州ヴォルフスブルクに本社を置く自動車メーカー。傘下の企業を合わせてフォルクスワーゲングループを構成。フォルクスワーゲンは、1937年設立となっているが、旧フォルクスワーゲン製造会社は第二次世界大戦前にナチス政権の国策企業として設立。会社としては、第二次世界大戦終戦後のイギリス軍管理下で、改組されたもので、工場と製品設計のみを継承したかたちとなっている。現在では世界119か所に工場を持つ。社名は、ドイツ語で、「Volks(国民)の」 + 「Wagen(車)」= 「国民車」 意味。最近は高級SUVのトゥアレグや、Fセグメントに属する高級セダンであるフェートンなどを発売し、社名(車名)そのものの国民車メーカーから、高級車も手がけるブランドへと変貌を図りつつある。
フォルクスワーゲンの傘下企業リスト
フォルクスワーゲン、アウディ (1964年)、セアト (1993年)、シュコダ (1989年)、ブガッティ (1998年)、ベントレー (1998年)、ランボルギーニ (1999年)、ポルシェ (2012年)、ドゥカティ (2012年)アウディにより買収。()内は買収年。
上のリストを見て頂くと、世界売上首位になる理由がわかります。しかし、トヨタ1社だけで、世界中を走るまでに拡大成長した事実は、日本を代表する素晴らしい大企業であり、優良銘柄です。
年表
1937年 5月28日 アドルフ・ヒトラーの意を受け、フェルディナント・ポルシェの開発した車を生産する目的でドイツ国民車準備会社として設立。
1938年 9月16日 国民車製造会社(Volkswagenwerk GmbH )と名称変更。収容所捕虜を労働力としてドイツ軍戦闘車両や戦車を生産した。
1945年 ドイツ降伏に伴い、アイヴァン・ハーストをリーダーとするイギリス軍の管理下で新生フォルクスワーゲン工場として、はじめてフォルクスワーゲンを生産。イギリス占領軍政府から2万台の生産を受注、この年にはキューベルワーゲンも生産。KdF車は「フォルクスワーゲン・タイプ1」に車名を変更する。
1948年 1月 イギリス軍からハインリヒ・ノルトホフがフォルクスワーゲン社長に任命される。
1949年 アメリカ合衆国にタイプ1を初輸出。その後の最重要な輸出先となる。カルマンのコーチワークによるタイプ1をベースとしたカブリオレ発売。以後カブリオレは、フォルクスワーゲンの主要モデルに定番的に設定。
1950年 初の商用車、タイプ2(初代トランスポルター)発表。汎用性の高さから大成功を収める。タイプ1が10万台目のラインオフ。
1952年 ノルトホフが米国経由で日本を訪れ、4台のタイプ1が持ちこまれる。記録に残る日本最古のフォルクスワーゲン車。
1953年 ブラジルに現地法人「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」を設立。ヤナセが108台のフォルクスワーゲンを輸入、翌年輸入販売権を獲得。日本への本格的なフォルクスワーゲン輸入がはじまる。
1955年 カルマンギアを発表。タイプ1をベースとしてイタリア・ギアのデザインしたボディをカルマンで架装したスポーティクーペ。アメリカ市場で人気を博する。
1957年 タイプ1、200万台目のラインオフ。
1961年 タイプ3発表。3ボックスタイプの機能的なボディを備え、タイプ1より上位のモデルと位置付けられたが、大きな成功を収めるには至らず。
1960年 有限会社から株式会社に組織変更。
1966年 タイプ3にファストバックを追加。
1968年 タイプ2モデルチェンジ、2代目となる。通称レイトバス。VWの乗用車分野で最後の空冷系列となるタイプ4(411)が発表されたが、商業的には失敗作。
1969年 初の水冷・前輪駆動モデル、NSUより開発されたK70を新工場、ザルツギッター工場で生産開始。ロータリーエンジン車Ro80のレシプロエンジン化車で、大きな実績を収めるには至らず。
1970年 VW181発表。
1972年 1500万7034台目のタイプ1がラインオフ、T型フォードの記録を更新。
1973年 初代パサート発表。タイプ4がモデルチェンジ、412に。
1974年 初代ゴルフ発表。カルマン生産により初代シロッコが発表。
カルマンギア生産中止(累計44万5295台)。
1976年 生産開始から31か月目で100万台目のゴルフがラインオフ。
1977年 ダービー(ポロの2ドアセダン)発表。
1978年 欧州でのタイプ1生産中止。白と黒のみの最終生産型はヤナセでは「グローリー・ビートル」と名付け、船上で完売。そのまま納車されたので店頭に並ぶことはなかった。
1979年 ジェッタ(初代)発表。3代目カラベル(乗用)/トランスポーター(商用)(北米名ヴァナゴン)。ARVW (1980年)1980年 高速燃費試験車ARVWが362 km/hを記録し、ディーゼルエンジン車の世界最高速度記録を樹立。エンジンスペックはターボつき水冷直列6気筒2,386 cc、175馬力(130.5 kW)。
1981年 2代目パサート、2代目シロッコ発表。
1982年 2代目ポロ、発表。
1983年 2代目ゴルフ、発表。7月 – フォルクスワーゲンWerk AGの出先機関としてフォルクスワーゲン株式会社設立。
1984年 2代目ジェッタ、発表。日産自動車と提携、サンタナ(2代目パサート)生産開始。
1985年 7月4日 – 現社名であるフォルクスワーゲンAGに社名変更。
1988年 コラード発表。
1989年 3代目パサート、発表。欧州版トヨタハイラックスOEMでVW TARO発表。
8月フォルクスワーゲン アウディ 日本株式会社(略称:VAN)設立。
1990年 欧州でVWバスの4代目カラベル/トランスポーター発表。
1991年 3代目ゴルフとヴェント、発表。日本や欧州ではジェッタ一旦廃止。
1992年 トヨタがVW・Audi車販売店鋪DUOをオープン。
1993年 北米仕様カラベルとしてユーロバン発表。
1994年 日本仕様カラベルとしてヴァナゴン発表。
1995年 3代目ポロ発表。
1996年 4代目パサート発表。
1997年 4代目ゴルフとボーラ発表。ヴェント廃止。
1998年 ニュービートル北米発表。翌年にヨーロッパでも発売される。
ドレスデン・グローサーガルテン新工場が稼動開始。9月 – 第二次大戦中の強制労働に対する補償を開始。
2001年 ドレスデン新工場とロジスティックセンターを結ぶ路面電車による貨物列車カーゴトラム(CarGoTram)が、ドレスデン交通企業体との連携協力の下で運用開始。
2002年 4代目ポロ、発表。
2003年 ドレスデン新工場からフェートン、発表。ポルシェとの共同開発SUVトゥアレグ、発表。9月、メキシコ・プエブラ工場での旧ビートル(現地名セダン)生産が終了、累計生産台数は2150万台を超える。
2004年 5代目ゴルフとニュービートルカブリオレ発表。アラブ首長国連邦アブダビ首長国が同社株式の13%を取得。ゴルフ・ゴルフ トゥーランがCOTYインポート=カー=オブ=ザ=イヤー受賞。
2005年 ジェッタ・ゴルフプラス・5代目パサート、発表。ポルシェが同社株式の20%取得。フェートン、北米地域での販売中止を決定。イオスをフランクフルトIAAショーで発表。エコレーサーを東京モーターショーで発表。日本での単独ブランド累計輸入100万台突破。記念式典が豊橋インポートセンターで開催。
2011年 スズキとの業務資本提携を解消。
2012年 ポルシェを完全子会社化。エンジニアリングアーキテクチャ「MQB」を発表。
2015年 9月排出ガス規制不正問題が発覚しCEOマルティン・ヴィンターコルンが辞任。(Wikipedia参考)
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